東玉川神社の由緒と見どころを徹底解説!御朱印・例大祭・アクセス【2026年最新】
東京都世田谷区東玉川に鎮座する東玉川神社は、江戸時代に地域で信仰されていた諏訪社を前身とし、昭和15年(1940年)に現在の社名となった、まちの歴史と深く結び付いた神社です。境内には、渋谷氷川神社から移築された歴史ある社殿や、向拝の天井に描かれた「火焔龍神像」があり、地域の鎮守としての信仰だけでなく、建築や美術の観点からも注目されています。
東玉川神社の御祭神は建御名方命と大山咋尊の二柱。前身の諏訪社がいったん廃社となった経緯、昭和3年(1928年)前後の再興、社殿の移築と改称、御朱印の授与方法、例大祭の日程、最寄駅からの徒歩ルートまで、2026年10月時点の神社公式情報と世田谷区の観光案内をもとに整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 由緒:前身は豊作を願って祀られた諏訪社。昭和初期に地域の人々によって再興され、昭和15年に東玉川神社へ改称しました。
- 見どころ:渋谷氷川神社から移築された江戸後期建築と推定される社殿、弘化2年(1845年)に描かれたと伝わる火焔龍神像が見逃せません。
- 御朱印・祭事:公式案内の御朱印初穂料は300円。2026年の例大祭は10月4日に斎行されました。
- アクセス:住所は東京都世田谷区東玉川1-32-9。奥沢駅・雪ヶ谷大塚駅から徒歩約11分、田園調布駅から徒歩約13分です。
【御由緒】東玉川神社はなぜ諏訪社から改称されたのか?
東玉川神社の歴史を理解するうえで重要なのが、現在の社名だけでは見えてこない「諏訪分」という土地の記憶です。
神社公式サイトの「御由緒・御祭神」によると、前身の諏訪社は、当地が諏訪分と呼ばれていた時代に、田畑の豊作を願って祀られていました。農耕が地域の暮らしを支えていた時代、神社は単なる参拝場所ではなく、収穫への祈りを共有し、集落の人々を結び付ける存在だったと考えられます。
ところが、諏訪社は明治時代末期に廃社となります。その後、昭和3年(1928年)から昭和6年(1931年)にかけて玉川全円耕地整理が進められ、地域の人々を中心に東玉川の町が形づくられていきました。これに伴い、地域の鎮守を再興しようという機運が高まり、現在の場所に諏訪神社が再建されました。
ここで押さえたいのは、神社の再興が単に古い社を建て直すだけの出来事ではなかったことです。土地の区画整理や町の形成が進むなかで、住民が地域の拠り所を取り戻そうとした動きでもありました。神社公式サイトによれば、境内には現在も樹齢300年を超える松が残っています。町が整備される以前から続く土地の記憶を感じさせる存在です。
その後、昭和14年(1939年)に拝殿、昭和15年(1940年)に本殿が渋谷の氷川神社から譲り受けられ、現在の社殿が整えられました。同年には野毛町の日枝神社が合祀され、社名も東玉川神社へと改められています。
つまり、東玉川神社の歩みは「諏訪社の創建」「明治末期の廃社」「昭和初期の地域による再興」「社殿の移築と合祀」「昭和15年の改称」という複数の段階から成り立っています。現在の神社には、諏訪信仰に由来する歴史と、町の発展に合わせて再編されてきた地域の信仰が重なっているのです。

【御祭神】建御名方命と大山咋命が祀られる理由
東玉川神社の御祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)と大山咋尊(おおやまくいのみこと)の二柱です。後者は大山咋命とも表記されます。二柱の神の由緒を知ると、前身の諏訪社から現在の東玉川神社へと続く歴史がより分かりやすくなります。
建御名方命は、諏訪信仰を代表する神様です。日本神話では大国主命の御子神の一柱とされ、『古事記』の国譲りの物語にも登場します。諏訪大社の主祭神として知られ、農業や風、水に関わる神として、五穀豊穣や地域の暮らしを守る信仰を集めてきました。
東玉川神社の前身である諏訪社が、田畑の豊作を願って祀られていたという由緒は、この神様の信仰と結び付いています。現在の社名になった後も建御名方命が祀られていることから、神社の歴史には前身の諏訪社から受け継がれた信仰が残っていると分かります。
一方、大山咋尊は、山や土地を守護する神として知られています。日吉大社などの祭神として信仰され、山や水の恵み、農耕、地域の土地との関わりを持つ神様です。
神社公式の由緒によれば、昭和15年に野毛町の日枝神社を合祀したことが、現在の二柱の祭神につながっています。諏訪社由来の建御名方命に、日枝神社に関わる大山咋尊が加わったことで、東玉川神社は複数の信仰の歴史を受け継ぐ鎮守となりました。
御祭神を知る際は、神様のご利益だけを切り離して見るよりも、なぜその神様がこの土地で祀られてきたのかを考えると理解が深まります。東玉川神社の場合、豊作を願った諏訪社の歴史と、昭和期の合祀という具体的な経緯が、二柱の祭神を結び付けています。
【社殿と見どころ】渋谷氷川神社から移築された建築と火焔龍神像
東玉川神社を訪れた際に、ぜひ注目したいのが社殿と向拝の天井です。大規模な観光施設ではありませんが、地域の鎮守としての落ち着いた境内に、歴史的な建築と特徴的な絵画が残されています。
1.渋谷氷川神社から移築された社殿
神社公式サイトによると、昭和14年(1939年)に拝殿、翌昭和15年(1940年)に本殿が渋谷氷川神社から移築されました。現在の社殿は江戸後期の建築と推定され、平成22年(2010年)に世田谷区の有形文化財に登録されています。
移築された建築を現在の境内で見られることは、東玉川神社の大きな特徴です。建物が現在の場所で建てられた年と、建築そのものが造られた時期は同じではありません。昭和期に移築されたという事実だけで、社殿自体も昭和初期の建物だと考えるのは正確ではありません。
建物の年代については、世田谷区の観光案内が『新編武蔵國風土記稿』に記された慶長10年(1605年)頃の由緒を紹介する一方、神社公式サイトは江戸後期の建築と推定しています。建築年代を一つの年に断定するよりも、古い社殿が渋谷から移築され、現在まで受け継がれている点に注目するのが適切です。
2.向拝の天井に描かれた火焔龍神像
東玉川神社を代表する見どころが、社殿の向拝にある「火焔龍神像(かえんりゅうじんぞう)」です。向拝とは、社殿の正面に設けられた参拝者を迎える屋根付きの空間を指します。その天井板に、炎に包まれた龍の姿が水墨で描かれています。
神社公式サイトは、この絵を弘化2年(1845年)に描かれたものと紹介しています。風化による損傷があったため、現在の像は平成11年(1999年)に再現されたものです。したがって、現在見られる絵は、歴史的な図像を受け継ぎながら保存のために再現されたものと理解できます。
龍は日本の伝統的な信仰や美術において、水や天候、力強さなどと結び付けられてきました。東玉川神社の火焔龍神像も、神社の案内では周囲を祓い、邪悪を祓う姿として説明されています。参拝時には、社殿の外観だけでなく、向拝の天井に目を向けることで、この神社ならではの見どころに気付けます。
3.稲荷社や神楽殿、境内の松にも注目
境内には稲荷社や神楽殿もあります。神社公式サイトによれば、稲荷社は諏訪神社が再興されてから現在の社殿が移築されるまでの間、諏訪神社のお社として建てられたものです。社殿の移築後も稲荷社として残り、地域の人々に大切にされています。
神楽殿は昭和29年(1954年)に現在の位置に建てられました。社殿だけでなく、祭事に関わる建物や境内の松も含めて見ると、東玉川神社が一つの建物だけで成立しているのではなく、地域の祭祀や日常の信仰を支える場所として整えられてきたことが分かります。

【歴史年表】昭和3年の再建から2026年の例大祭まで
東玉川神社の歴史を時系列で整理すると、前身の諏訪社から現在の神社へと変化した経緯が明確になります。以下は神社公式サイトの由緒・境内案内と、世田谷区の観光案内などをもとにまとめたものです。
| 時期 | 出来事 | 歴史上の意味・ポイント |
|---|---|---|
| 江戸時代 | 前身の諏訪社が地域に祀られる | 諏訪分の土地で豊作を願う信仰が営まれた |
| 明治時代末期 | 諏訪社が廃社となる | 前身の神社がいったん途絶える |
| 昭和3~6年(1928~1931年) | 玉川全円耕地整理が進み、地域の再興運動によって諏訪神社が再建される | 町の形成とともに、地域の鎮守が再び整えられた |
| 昭和14年(1939年) | 渋谷氷川神社から拝殿を移築 | 現在の社殿を構成する建築の移築が始まる |
| 昭和15年(1940年) | 本殿を移築し、日枝神社を合祀。東玉川神社へ改称 | 現在の社名と二柱の御祭神につながる節目 |
| 平成11年(1999年) | 拝殿・幣殿の修理と火焔龍神像の再現 | 歴史的な社殿と絵画の保存が進められた |
| 平成22年(2010年) | 社殿が世田谷区の有形文化財に登録 | 地域の信仰施設であると同時に、歴史的建築として評価される |
| 令和8年(2026年)10月4日 | 例大祭・こども祭を斎行 | 祭典に加え、子ども向けの催しも行われた |
この年表で特に重要なのは、昭和初期の再建と昭和15年の改称を区別することです。昭和3年(1928年)は、地域の再興運動や耕地整理が進み、神社が再建される流れの起点として紹介される年です。一方、現在の社名への改称は、社殿の移築や日枝神社の合祀が進んだ昭和15年(1940年)です。
また、昭和14年と昭和15年に社殿の移築が分かれて行われた点も見落とせません。拝殿と本殿は同じ年に移されたのではなく、2年にわたって整えられました。こうした経緯を知っておくと、社殿の歴史をより正確に理解できます。
【御朱印・例大祭】初穂料と2026年の祭事情報
御朱印は初穂料300円。神社公式サイトの「御朱印・各種御祈祷」では、社殿右手の社務所で頒布すると案内されています。社務所が不在の場合には、社務所前に書き置きの御朱印が用意されているため、参拝時に確認するとよいでしょう。
御朱印は、参拝した神社とのご縁を記録するものです。東玉川神社の場合は、御朱印を受けることだけを目的にするのではなく、諏訪社から続く由緒や、社殿の建築、火焔龍神像などをあわせて見学すると、参拝の意味がより深まります。授与状況や初穂料が変更される可能性もあるため、出発前には公式案内を確認するのがおすすめです。
例大祭は、地域の人々が集う重要な祭事です。神社公式サイトの年間行事予定では、例大祭は10月4日、祭典の開式時刻は午前10時とされています。2026年についても、公式サイトは10月4日(日)の開催を告知し、同月13日には例大祭・こども祭を無事に執り行ったと報告しました。
2026年の告知によると、祭典に続いて午後0時30分からこども祭が始まり、神楽殿ライブ、大きな紙芝居、演劇、ゲーム大会などが予定されました。神社の祭事が、神事だけでなく、子どもたちや地域住民が参加する交流の機会にもなっていることがうかがえます。
なお、過去の神社紹介サイトには、例大祭を「8月25日前後の日曜日」とする記載もあります。しかし、2026年の公式年間行事予定と開催告知では10月4日と案内されています。祭礼日程については、古い紹介記事の情報をそのまま使うのではなく、訪問する年の神社公式発表を優先することが大切です。
例大祭以外にも、公式サイトでは1月1日の歳旦祭、2月3日の節分祭、2月の初午祭、6月30日の大祓式、12月31日の年越の大祓式などが案内されています。日程や開催内容は変更される場合があるため、特定の祭事に合わせて参拝する場合は最新の告知を確認してください。

【アクセス】東玉川神社の住所と最寄駅・徒歩ルート
東玉川神社の住所は、東京都世田谷区東玉川1-32-9です。世田谷区の南東部に位置し、大田区にも近い住宅街の中にあります。最寄駅は一つではなく、東急線の複数の駅から歩いてアクセスできます。
奥沢駅から徒歩約11分、雪ヶ谷大塚駅から徒歩約11分、田園調布駅から徒歩約13分が、神社公式サイトに掲載されている目安です。いずれも駅から少し歩くため、初めて訪れる場合は地図アプリで経路を確認しておくと安心です。
バスを利用する場合は、東急バスの「東玉川交番前」停留所が便利です。神社公式サイトでは停留所から徒歩0分と案内されています。駅から歩く距離を短くしたい場合や、徒歩での移動をできるだけ減らしたい場合には、バス利用も選択肢になります。
参拝の際は、次の情報を目安にしてください。
- 住所:東京都世田谷区東玉川1-32-9
- 奥沢駅:東急目黒線、徒歩約11分
- 雪ヶ谷大塚駅:東急池上線、徒歩約11分
- 田園調布駅:東急目黒線・東急東横線、徒歩約13分
- バス:東急バス「東玉川交番前」停留所から徒歩0分
- 電話:03-3720-0007
境内を見学する際は、参拝を基本とし、社殿や文化財を傷付けないよう配慮しましょう。火焔龍神像は向拝の天井板に描かれているため、現地では周囲の参拝者の妨げにならない範囲で見上げて鑑賞するのがおすすめです。
【東玉川神社】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:東玉川神社の御祭神は誰ですか?
A1:建御名方命と大山咋尊の二柱です。前身の諏訪社から受け継いだ建御名方命の信仰に加え、昭和15年に日枝神社を合祀したことで、現在の祭神構成につながりました。
Q2:東玉川神社の御朱印はいくらですか?
A2:神社公式サイトでは初穂料300円と案内されています。社殿右手の社務所で頒布され、社務所が不在の場合には社務所前に書き置きの御朱印が用意されています。
Q3:東玉川神社の例大祭はいつですか?
A3:2026年の例大祭は10月4日(日)に斎行されました。神社公式サイトの年間行事予定にも10月4日と記載されています。過去の紹介記事には8月下旬とする情報もあるため、翌年以降の開催日は、その年の公式告知で確認してください。
Q4:東玉川神社の最寄駅はどこですか?
A4:奥沢駅と雪ヶ谷大塚駅が徒歩約11分、田園調布駅が徒歩約13分です。東急バス「東玉川交番前」からもアクセスできます。
Q5:火焔龍神像は江戸時代からそのまま残っているのですか?
A5:神社公式サイトによると、火焔龍神像は弘化2年(1845年)に描かれたものですが、風化による損傷のため、現在の像は平成11年(1999年)に再現されています。歴史的な図像を受け継ぎながら、保存のための措置が取られています。
まとめ:【プロの結論】東玉川神社は地域の歴史と文化財を味わう鎮守
東玉川神社の魅力は、単に古い神社であることだけではありません。豊作を願った諏訪社の信仰、明治末期の廃社、昭和初期の地域による再興、昭和14~15年の社殿移築、昭和15年の改称という歴史が、一つの境内に凝縮されています。
建御名方命と大山咋尊という二柱の御祭神は、諏訪社と日枝神社に関わる信仰の歴史を伝えています。また、渋谷氷川神社から移築された社殿や、弘化2年の図像を受け継ぐ火焔龍神像は、地域の鎮守でありながら、歴史的建築と美術を鑑賞できる場所としての価値を持っています。
参拝するなら、由緒を知ってから社殿と火焔龍神像を見学し、御朱印を受け、時間が合えば例大祭などの地域行事にも目を向けるのがおすすめです。一方、大規模な観光施設や長時間の展示見学を目的とする人よりも、土地の歴史や神社建築、地域に受け継がれる信仰をじっくり知りたい人に向いている場所です。
2026年時点での御朱印やアクセス、例大祭の情報は神社公式サイトに掲載されています。特に祭礼の日程は古い紹介記事と異なる場合があるため、参拝前に最新の公式案内を確認することが、計画を立てるうえでの確かな判断基準になります。
東玉川神社は、昭和15年の改称によって生まれた神社であると同時に、それ以前の諏訪社の記憶を今に伝える場所でもあります。境内に残る松や歴史ある社殿、火焔龍神像に目を向ければ、世田谷の住宅街に息づく地域の歴史を身近に感じられるはずです。 (出典: 東 玉川 神社(Yahoo!ニュース))